閉院のお知らせ

 1981年当院は現在のこの地(北秋田市鷹巣、当時の鷹巣町)で開業致しました。そして今年35年目を迎えたところでした。去る今年1月27日の夜、父である佐々木産婦人科医院院長、佐々木勝次は事故により帰らぬ人となり当院は同日閉院とさせていただきました。通院中の皆様には多大なご迷惑をおかけしたことをお詫び致します。今まで通院して頂いた沢山の患者様、不快な思いをさせてしまったことも多々あったかと思いますが、当院を受診することを選択して頂きありがとうございました。また今まで当院を支えて下さった本当に沢山の方々に感謝致します。
 1980年当時、世の中はこれからバブル景気を迎える数年前、鷹巣駅前商店街にも店が立ち並び、鷹巣中学校も各学年7-8クラスという大所帯でした。町民はいつ市になるのかと待ちわび、一方で日本でトップクラスの人口の多い町というひそかな自負を抱いたりしていました。建設中だった鷹角線(現、秋田内陸縦貫鉄道)の開業もあと少しと信じて疑っていませんでしたし、鷹角線開通とともに私達の町がさらに活気づくと期待していました。当院院長もそのような地に将来の発展を期待し希望を持って開業するため移住してきました。そして移住後1年佐々木産婦人科医院は誕生致しました。
 開業してからは順調に患者さんもいらしてくださり、病室がいっぱいになってしまうこともしばしばでした。その頃はまだまだ若い人も多く、新しく誕生する赤ちゃんもたくさんいました。
開業後、国鉄(現JR)の国鉄再建法による鷹角線の建設中止、日本海中部地震など残念な出来事や悲しい出来事もありましたし、当院では裏の材木置き場の火事で患者様を待合室に避難させたり、建物内に飛び火してもすぐ対応出来るよう中から外から目を光らせていたりといった経験もしました。そんな中でも当院では多くの新しい命が生まれ続けていました。そして時代はバブルへと突入し、中止していた鷹角線工事も秋田内陸縦貫鉄道と名前を変えて再開、1989年全線開通しました。しかしその後、バブル経済がはじけ世の中は不況に突入しました。将来の不安から妊娠する人が減り、職を求めて鷹巣を離れる若い人も多くなりました。開業当時、旧鷹巣町だけで年間約300人生まれていましたが、昨年は北秋田市全体で150人を下回る出生数でした。
 先日、父は父自身が働けなくなった時に佐々木産婦人科医院を閉じることを決断しました。佐々木産婦人科医院は主にお産のために誕生した病院でした。父はお産に携わることが好きで、お産に対して使命を感じているようでした。お産が金銭的に負担にならないように出産一時金以下の料金設定にすることにもこだわっていました。2002年に一度父が体調不良で数週間診療から離脱しました。復帰後の父に年齢的にも体力的にもお産をやめたらどうかと提案したことがありました。その時父は自分からお産をとったら何も残らないと言い、決してお産をやめようとはしませんでした。父、そして佐々木産婦人科医院の存在する意義はお産にこそあると考えていたようです。最近ではお産が減り、父も体力的な問題からほとんどのお産の患者様を紹介させていただくようになりました。そのような状況の中、父は佐々木産婦人科医院の使命は終わったと感じていたのだと思います。本来であればあと数年は続けて徐々に患者様や職員達に話しながら閉院を迎えるはずでした。しかし冒頭で述べましたように事故で突然他界し、突然の閉院となってしまいました。お産の方だけでなく、それ以外にも多くの患者様にいらしていただいていましたので、多くの方々にご迷惑をお掛けすることになってしまい本当に申し訳ありません。
 父がなくなった後、いろいろな方々にお会いする機会があり、父が本当に多くのお産に携わってきたことを実感しました。お産だけではなく女性に対する診療を通して、35年間父はこの町に十分貢献してこれたと思っています。私達家族もそんな父を誇りに思っています。またそのように父が長い間多くの患者様に接することが出来たのは、多くの職員の方達に支えていただいたからでもあります。特に今回の閉院時まで働き続けて頂いた方々や、その直前まで働いてくたさった方は開院時あるいは開院間もない時期からずっと当院で勤務し、ずっと支え続けてくださいました。本当に感謝してもしきれません。ありがとうございました。
 最後繰り返しになりますが、今まで当院を受診して頂いた患者様、この度はご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。そして今まで当院を支えて下さった多くの皆様、本当にありがとうございました。ここに佐々木産婦人科医院は35年の幕を閉じます。

佐々木 博